よこしまちゃんぶろぐ

自己顕示欲ビンビン丸

もしどこにも永遠がなくても 今は知らないふり

抱いている気持ちは間違いなく全て本物なのに、世の中にはそれを周りに秘め続けなければいけない事がある。それを誰にも言えないがために、それだけでまるで嘘を付いているような後ろめたさや人生への不安を感じることがあって、自分自身に罪悪感を感じずにはいられなくなることがある。

私でも、誰でも皆んな一緒なんだと思う。「やめなければ」「離れなければ」と無理やり断ち切ることを強く願えば願うほど、そのものに対する気持ちは強くなっていくばかりなのが人間だということ。

 

映画『無伴奏』予告編 - YouTube

この先報われないとわかっている恋愛を割り切りたくても感情に上手く蓋を出来ない時、それは時と場合によっては単なる想いを超えて、どんどん誇大していって依存に行き着くこともある。極端に言えば「貴方がいれば生きられる」気持ちが「貴方がいなかったら生きられない」というところまで行き着いてしまうような。そこまでいった強さの気持ちはもう、「想い」の範疇ではない気がする。「支え」から「軸」になってしまってしまった時には、もう断ち切ることはできないものになってしまっているんじゃないだろうか。きっと渉が、間違いなく本当に愛している響子と居ても心ここに在らずな自分から抜け出すことが出来なかったのは、愛してしまう気持ちから離れたいのにその一方で失うことが怖くて離れられない存在が常に心の中に棲み続けていたからなんだろう。

 

「人は誰でも同性愛を抱く時期があって、ある一定の年齢でそこから成長して異性愛へ転換していくのか、そのまま同性愛者に向かうのかの分かれ道がくる」と、高校時代に教育心理学の研究をしている非常勤講師が教えてくれたことを思い出した。その心理的見解の真偽は分からないけれど、「分かれ道」視点で思い描いてみると、きっと異性愛へも同性愛にも絞ることが出来ずに不安定なまま大人に踏み込んでいく人も多くいるんだろうと思う。

だけど、それは決して間違いなんかではない。定まらない事が間違いだと決めたのは社会で、人としてそれは異常な事なんかでは絶対にないはず。それはいけないことではないし、また、断ち切りたい道から抜け出す為に新しい人生を掴もうとすることも逃げなんかじゃない。自分で道を選ぼうとしているだけ。それはどの時代においても普遍的なこと。だけどそれに対して、今でこそ社会的に同性愛への認知や受容が広まってきたから罪悪感を感じる人も減りつつあるのかもしれないけれど、渉があそこまで心苦しい気持ちで生きなくてはいけなかったのは、当時の時代柄があるのかもしれない。

 

 

自分の見つめる先の人が別の人を見つめているような恋愛ほど苦しいものってない。それは男であろうと女だあろうと同じ。見つめる先が男であろうと女であろうと同じ。手放す潔さを持つことは難しくても、嫉妬は誰でもこんなにも簡単に持てるものなのは、頭で理解することはできても気持ちも簡単に変えられる事ではないから。

きっと、矛盾を孕んだ人間関係ほど壊れやすいものはない。そして壊れやすい人間関係ほど熱を帯びるものもないんだと思う。

渉が掴んだ人生は苦しいものだったけれど、ああするしかなかったのかな。やっと楽になれると安心できたことだけが救いだったのかもしれないな。

 

 

余談なんだけど、渉がすごく魅力的な人だった。少しでも心の隙を覗くだけで全てが崩れてしまいそうな繊細さがあって、そういう不安定さから来る暗さや優しい言葉遣いが素敵。いつまで経ってもそういう気持ちに蓋をしているような人が本当に好きなんだろうなと思った。

報われない恋愛映画を観た時、やたらと自分を重ねたがるのやめたいな。美化したところでなんの得もないですね…。

 

 

矢崎仁司監督の映画、ストロベリーショートケイクスとリトルスイートライズしか観たことないんだよね。その作品もこの作品もすごく好きな雰囲気だったからちゃんと代表作以外も観ようと思う。女性が好むような雰囲気を撮る男性監督の映画はだいたい色っぽい。下品じゃない、いい意味で!

 映画『スイートリトルライズ』予告編 - YouTube

 

なんかこの監督の映画は評価が低いんだけど私は大好きだ。あの名前のつけようのない複雑な感情みたいなのが魅力なんだけどな、なぜだ。。