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よこしまちゃんぶろぐ

自己顕示欲ビンビン丸

もしどこにも永遠がなくても 今は知らないふり

抱いている気持ちは間違いなく全て本物なのに、世の中にはそれを周りに秘め続けなければいけない事がある。それを誰にも言えないがために、それだけでまるで嘘を付いているような後ろめたさや人生への不安を感じることがあって、自分自身に罪悪感を感じずにはいられなくなることがある。

私でも、誰でも皆んな一緒なんだと思う。「やめなければ」「離れなければ」と無理やり断ち切ることを強く願えば願うほど、そのものに対する気持ちは強くなっていくばかりなのが人間だということ。

 

映画『無伴奏』予告編 - YouTube

この先報われないとわかっている恋愛を割り切りたくても感情に上手く蓋を出来ない時、それは時と場合によっては単なる想いを超えて、どんどん誇大していって依存に行き着くこともある。極端に言えば「貴方がいれば生きられる」気持ちが「貴方がいなかったら生きられない」というところまで行き着いてしまうような。そこまでいった強さの気持ちはもう、「想い」の範疇ではない気がする。「支え」から「軸」になってしまってしまった時には、もう断ち切ることはできないものになってしまっているんじゃないだろうか。きっと渉が、間違いなく本当に愛している響子と居ても心ここに在らずな自分から抜け出すことが出来なかったのは、愛してしまう気持ちから離れたいのにその一方で失うことが怖くて離れられない存在が常に心の中に棲み続けていたからなんだろう。

 

「人は誰でも同性愛を抱く時期があって、ある一定の年齢でそこから成長して異性愛へ転換していくのか、そのまま同性愛者に向かうのかの分かれ道がくる」と、高校時代に教育心理学の研究をしている非常勤講師が教えてくれたことを思い出した。その心理的見解の真偽は分からないけれど、「分かれ道」視点で思い描いてみると、きっと異性愛へも同性愛にも絞ることが出来ずに不安定なまま大人に踏み込んでいく人も多くいるんだろうと思う。

だけど、それは決して間違いなんかではない。定まらない事が間違いだと決めたのは社会で、人としてそれは異常な事なんかでは絶対にないはず。それはいけないことではないし、また、断ち切りたい道から抜け出す為に新しい人生を掴もうとすることも逃げなんかじゃない。自分で道を選ぼうとしているだけ。それはどの時代においても普遍的なこと。だけどそれに対して、今でこそ社会的に同性愛への認知や受容が広まってきたから罪悪感を感じる人も減りつつあるのかもしれないけれど、渉があそこまで心苦しい気持ちで生きなくてはいけなかったのは、当時の時代柄があるのかもしれない。

 

 

自分の見つめる先の人が別の人を見つめているような恋愛ほど苦しいものってない。それは男であろうと女だあろうと同じ。見つめる先が男であろうと女であろうと同じ。手放す潔さを持つことは難しくても、嫉妬は誰でもこんなにも簡単に持てるものなのは、頭で理解することはできても気持ちも簡単に変えられる事ではないから。

きっと、矛盾を孕んだ人間関係ほど壊れやすいものはない。そして壊れやすい人間関係ほど熱を帯びるものもないんだと思う。

渉が掴んだ人生は苦しいものだったけれど、ああするしかなかったのかな。やっと楽になれると安心できたことだけが救いだったのかもしれないな。

 

 

余談なんだけど、渉がすごく魅力的な人だった。少しでも心の隙を覗くだけで全てが崩れてしまいそうな繊細さがあって、そういう不安定さから来る暗さや優しい言葉遣いが素敵。いつまで経ってもそういう気持ちに蓋をしているような人が本当に好きなんだろうなと思った。

報われない恋愛映画を観た時、やたらと自分を重ねたがるのやめたいな。美化したところでなんの得もないですね…。

 

 

矢崎仁司監督の映画、ストロベリーショートケイクスとリトルスイートライズしか観たことないんだよね。その作品もこの作品もすごく好きな雰囲気だったからちゃんと代表作以外も観ようと思う。女性が好むような雰囲気を撮る男性監督の映画はだいたい色っぽい。下品じゃない、いい意味で!

 映画『スイートリトルライズ』予告編 - YouTube

 

なんかこの監督の映画は評価が低いんだけど私は大好きだ。あの名前のつけようのない複雑な感情みたいなのが魅力なんだけどな、なぜだ。。

関係ないですが3kg痩せました

映像作品ってものは音の効果によって高揚感やときめき、恐怖感や怒りを受取手に伝える方法もあれば、対して「無音」こそがその瞬間瞬間をより忠実に伝えてくる作品もあって、その表現の幅の広さと無限に自由な可能性こそが魅力だと思っている。「君の名は。」のようにエンターテイメント性のある魅せ方で迫力を出す映画も、確かにダイレクトな感動を与える効果はある。だけど、会話や物音やその場所で聞こえてくる自然の音や、そういう、事実だけをすぐ目の前で目撃しているような感覚にさせられる映画こそ本物の「映画」だと思う。個人的な見解だけど。

2017年劇場鑑賞1本目の「沈黙 サイレンス」、マーティンスコセッシ監督、しかも崇拝するイニャリトゥ監督作品を撮っている撮影監督が携わっている作品だと知った時から絶対劇場で観なきゃ!と決めていた。期待を裏切る事なく、期待以上に費やした価値のある160分だった。この映画の感想を一言で言えばまさしく、「人間の頑なな決意の中にも本能的な弱さは必ず潜んでいる」ということなんだと思う。事実のみを如実に映し出している映像によってその普遍的な人間の真理を神への信仰の厚い人物の葛藤を通して描いていたんじゃないだろうか。劇中はストーリー展開はもちろんのこと、登場人物たちの生き様や発する言葉のひとつひとつに胸が痛んだ…。特に私は主演のアンドリュー・ガーフィールドの演技が昔から好きなのでそのこともあって余計に惹きこまれた。(彼が主演の「BOY A」も「私を離さないで」もとても好きな作品。スパイダーマンは見た事ないけど。彼に重たい役をやらせたら必ずはまり役になる!)

 

キリスト教弾圧の支配下にある江戸初期、自分たちが強く信頼している神父が日本で棄教したと噂を聞いて、それを確かめるために日本に渡航した若い神父2人がキリスト教弾圧を行う奉仕たちからひたすら苦しまされる物語。その中で2人の神父は、どれだけ日本人の切支丹(キリシタン)が処刑されても「神に祈ることが赦しであり人々を救う」という信念を貫き通すんだけれど、その信仰の頑なさがどんどん日本人の死者を増やし続けるわけで…。
キリスト教に属する者として「目の前の命を救うこと」が信徒にとって救いなのか「神への祈りを続けること」が信徒にとって救いなのか…。
命と引き換えになる信仰に、当時の切支丹たちにはどれだけの価値と意味があったんだろう。
どの宗教にも属さない無知識である私の見解だけれど、戦時下で天皇に命を捧げることは現在進行形で生きている人間を信仰するようなもの。だけどキリスト教で既に死んでいるイエス様を信仰するということは、目には見えない神を心の中で信仰し続けるために、あくまで神の使いである神父に信仰を託すということなんじゃないだろうか。

踏み絵ひとつを踏むという、それだけの行為を拒むだけで、燃やされて斬首されて吊るされて頭に穴を開けられて十字架を身体に背負って波に打ち付けられ続けて…。そこまでされても踏み絵を踏まない。日本人は他国と比べて信仰心が強いんだろうか。異常にも思える宗教への信仰心は現代にも人種柄、一部の人間の価値観に受け継がれているのかもしれないな。
どれだけの死者が出ても「自分が神に祈る続けるこそが信徒を救うこと」という神父としての使命を続けてきた若い神父2人だけれど、1人は弾圧を受けて酷く飢餓した結果死んでしまう。それも、もう1人の神父の目の前で。
亡くなった命を神が天国へ導いてくれたとしても、人間としての最期が地獄であったことには変わりない。
宗教には、人の命を奪うまでの価値はあるの?
現代なら世界の人間の大多数には理解し得ない価値観だったけれど、当時の切支丹の信仰心は痛いほど伝わってきてそれがまた痛々しかった。

死んでしまった方の神父の役作りが尋常じゃなかった。死に際の姿は本当に痩せ細って酷い拒食症の人のように骨と皮しかなかった。歩くのもままならない姿はきっと演技じゃなくて本当にまともに歩くこともできなかったように見えた。直視するのも辛いほど役者を本気にさせたのも、この映画の製作者あってのことなんだろうな。何より、あの監督でなければこの史実をここまで残酷に成り立たなかった映画だったんだと思う。

学生時代までは若者映画や恋愛映画ばかり観ていた。史実映画を自分から好んで観ることなんて絶対に無かった。だけど、年齢を重ねるごとに少しずつ色んな方向にアンテナを張れるようになってきた。
映画、音楽、美術作品…何にしろ、魅力的だと思ったものをケータイ越しに見流すのと実際にこの目で観るのとでは心に残る満足度も全く違うということがわかった。自分の世界を広げて深めていくのは、ある意味無職である今が一番のチャンスな気がする。

いくら退歩しながらでも進んでいく野心だけは捨てずにいたい。

 

 

映画『沈黙-サイレンス-』本予告 - YouTube

 

主演のアンドリュー・ガーフィールドが主演している作品で特に好きなもの↓

映画『わたしを離さないで』予告編 - YouTube

こっちはラブストーリー要素が強いです。

日記書き始めたらブログ欲が減りました

見返りを得るために自分の存在意義そのものを否定するような年齢がやっと過ぎたんだと思う。病気を持って数年経った今、自分が生きることを必要としてくれる人が何人か居ることも自分がどんなに変わったとしても変わらずに居てくれる人が何人か居ることも、全て周りの人達のおかげで自覚できるようになった。自分の歩んできた道や過ぎた過去の原因を全て親のせいだと主張する事もしなくなった。例え自分を形成してきた原材料として原因の一つにそれがあったとしても恨みや憎しみは主張すればするほど現実よりも大きくなっていってしまうもので、これからも一生続いていく仲の人間関係においてそれをいつまでも根に持つことは自分の精神衛生上害でしかないことが分かったから。ただ、自分の家庭に幸せを感じるようになると「お前は贅沢ものだ、私の方が辛かったのに」と遠回しに匂わされる事が多くなった。事実としてそうである場合はあるのかもしれない、だけど、どの家庭にも大なり小なり欠けている部分はあるのであって、自分よりも平穏な家庭を悪く言う事は絶対に間違っている。私も数年前までは何の問題も無いように見える幸せそうな家庭を憎らしく思う時期があったけれど、どれだけ経ってもいつまでも他人と自分を比べて「私のほうが辛い、かわいそう」と思い、周りからもそう思われることを望む生き方しか出来ない人は、それこそかわいそうだなと思う。きっと今までの自分も同じように幼く惨めに見えていたのかもしれない。その人がどんな気持ちで生きてきたかは本人にしか分からない。私自身も含め、この界隈の病気の人はことあるごとに他人をすぐに妬んでしまう。もっと柔軟な心で生きられたらいいのになと思う、私も。

 

映画『セトウツミ』予告 - YouTube

昨日、邦画3本観たんですがやっぱり池松壮亮菅田将暉は演技上手いですね

特別好きなわけではないんだけど、会話だけで人を惹きつけられるのはこの2人じゃないと出来ないんだろうなと思う。あまりこういう青春をできた覚えがない。「だべり」って、無駄な時間のように思えるけれどそれは全く違って無駄話を出来る仲の人がいる事ってとても素敵なことだと思う。他人といるとき常に「この話に意味はあるのか」と価値や意味の有無に繋げてしまう私の感受性はものすごく貧相なんだろうな。

この映画を観ながら高校時代に部活の顧問の先生が「女子高生ってペンが落ちただけでも爆笑できるんだから。何をしてても面白くて仕方がない時期よ」というような事を言っていたのを思い出した。若さってきっとそういうことなんだろう。何の意味もないことに価値を見出せる日々こそ輝いてると思う。

 

追記:

大森立嗣監督の作品、一応いまのところ一作目から全て見ているんだけど本当にハズレがない、邦画監督で3本指に入る好きな人物なのでファッション性を求めるタイプではなく哀愁漂う雰囲気の映画に惹かれる人には、もう全作品知って欲しいくらいの勢いで薦めたい。ぜひ。

「さよなら渓谷」「まほろ〜」シリーズは賞も取ってるし勿論おすすめなんだけれど個人的にはこちらの方が印象深かった。

映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』予告編 - YouTube

観た後3時間くらい重い空気を引きずる部類のやつです

「これは私の唯一の希望だから」

自分の目の前にいる恋人が、ある日を境に自分を恋人の対象として見てくれなくなってしまったら。恋人を恋人として愛しているのは自分だけ、その相手が抱く自分への愛情が恋愛とは別のものであることを知った上で、同じ家に暮らして同じ時間を過ごしていく人生を送る運命になったら。

それってもしかしたら、恋人同士が愛しあえなくなって普通にお別れするよりもうんと辛い事なんじゃないだろうか。

映画『リリーのすべて』予告編 - YouTube 

世界で初めて性転換手術をした男性とその奥さんが送った、実話からインスパイアされたラブストーリー。

この映画の主人公はもちろん「リリー」なわけなんだけれど、なんだかどうしても、そのリリーに寄り添って生きた奥さんの気持ちばかり考えてしまった。

きっかけは画家である妻のゲルダが、夫のアイナーに脚のモデルをしてもらおうとストッキングを履かせてドレスを着せたこと。女性の服を身に纏った自分の夫が自分の中に隠していた本当の性に気がついてしまった、そんなことが実際に起きたら、軽い気持ちで行った自らのその言動をどれだけ後悔するんだろう。

 

この映画には「感動の物語」「究極の愛の物語」と美しいキャッチコピーがよく飾られていたけれど、素直に美しさだけを受け取れないのは私だけなのか……

リリーが性転換手術を受ける為に1人で汽車に乗って病院へ行く日「貴方が本当の私を気付かせてくれたの」と、まるで女性になった夫に感謝される妻はどんな気持ちになるんだろう。いくら献身的になろうと努めても「もう君が望む人間にはなれない」「貴方が愛した男はもう死んだの」なんて事まで言われてしまう人生ってなんなんだろうか。女性になった夫に「私、いつかは結婚して子供を持ちたいの」と女友達のように相談される人生って、もし私が言われたら、それでもそばに居られるだけで素直に幸せって言い切れるんだろうか…。

この物語は周囲の目に屈せずアイデンティティを見出して行くリリーの生き様を美しく描いた作品であることは確か。けれど、奥さんであるゲルダの目線で観ると「純粋な感動の物語」と綺麗な言葉で片付けていいのか分からなくなる。彼女の愛の矛先は間違いなく彼だけに、それも女性である自分に気が付いた「リリー」ではなく、自分を妻として愛していてくれていた頃の「アイナー」に向いているのに、受け取ってほしい形で受け取ってもらえないのだからその愛はどこに向かえばいいんだろう……。

 

それでも、日に日にもう1人(本当の自分)である「リリー」に思考や心が傾いていく夫のその変化を一番近くで見続け「アイナー」から「リリー」になった愛するその人のことを生涯愛し続けたゲルダ。彼女は一生涯彼を愛し続け彼の肖像画を描いて人生を送ったそう。映画でも終盤のゲルダはもう「アイナー」ではなく「リリー」に寄り添って生きていた。苦しみながらも愛する者のために献身的に生きることができる女性はとてつもなく、凄まじく、潔く、かっこいいと思った。

 

ところでこの映画、性同一性障害ではない私はついゲルダの目線で鑑賞してしまって彼女の不憫さに心を痛めてしまうけれど、性の不一致を感じて生きている人が観たら、リリーに自分を重ねて「希望の物語」として受け取るんだろうか。周りに性同一性障害の人が居ないけれどその当事者がどう観るのかが気になる。

 

日本でもいつだったかバラエティを見ていた時に深夜のゲイバーに潜入取材していて、そこで「息子が成人した年に本当の自分をカミングアウトしたのよ!!」と言って笑ってたオカマを未だに覚えてるんですが、あれは、数十年人生を共に歩んできた旦那に自分はゲイだとカミングアウトされた妻はどんな心境になるんですかね……。

 

精神病界隈ではとても多くの人口が居るとはいえ、やっぱりLGBTっていうのはストレートの異性愛者からしたらとてつもなく未知の世界というか、理屈だけでは追求しても仕切れない部分がある。他の人は知らないけど少なくとも私はそう。きっと実際は偏見や勘違いの塊だと思うし、だからこそ十分な理解があるだなんていう発言は安易に出来ない。

 

リリーのすべて」では女性を愛していた男性は本当の性に気づき女性になるにつれて妻への恋愛感情を失くしてしまったけれど、グザヴィエ・ドランの「わたしはロランス」ではかたちがまた違う。彼女に女装癖をカミングアウトした彼氏は喋り口調も身に付けるものも完全に女性だったけれど、生涯彼女だけを「恋人」として愛し続けた。姿が女性になってからも交際をしたのは女性だけだったのできっと両性愛者でもないんだろう。

 

自分を追い求め続けたリリーと、自分を追い求めるリリーを見守り続けたゲルダの物語、『リリーはいいけれど、ゲルダはどうなるの…』『ゲルダを愛して居た頃のアイナーは本当の姿ではなかったの…』と、性同一性障害の人を愛した人の目線に立って見始めたら切なさばかりが止め処なく溢れてきてしまうけれど、どんな人でも一度観る価値はあると思う。観終わった後、感じたことを誰かとシェアしたくなる作品だった、そういう作品はあまり出会えないのでこの出会いを大切にしたい(「わたしはロランス」も同じく)。

愛情の矛先の行き違いはすぐに起こる。誰にでも起こる。だけどそれでも愛を貫き通したい人に出会える人生って、すごいな。

 

 

自分は心から恋人のこと愛してるかな

結局何度繰り返しても利己的な恋愛しか出来ていない気がするな

 

 

 

追加(2017/2/12):

先日ほかのひとの批評を検索したら衝撃の事実(なのか?迷信?)を知ってしまったので、これは記すべきなので残しときます。

リリーのすべて(真実は映画とは別物だった) - わにの日々-アラフィフ編

なぜ妻は性転換に積極的だったのか? 実は嘘だらけ? 「リリーのすべて」に隠された真実を徹底解説!! - Machinakaの日記

どう捉えるかはひとそれぞれ…

書いたことと異なりますが実話として観ない方がいいかもしれない。

あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡

カメラワークや演出が特徴的な映画がとても好きで(もちろん、それのみに拘りすぎてストーリーとしての魅力が無くなってしまっては意味がないけれど)、特にこの監督の映画は私の一番のツボを押さえてくれているので一度ハマると何度でも観たくなる。

映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』日本版予告編 - YouTube

初めから終わりまでワンカット(長回し)で撮ったような見せ方をしているという斬新な演出!これに似た技法が使われる映画、最近はちょくちょく出てくる。長回しすることで常に人物と同じ目線で同じ景色が見えるような演出は観ていて自分もその世界に入り込んでいるような気分になれるので、個人的にその技法を駆使している映画は好みのものが多い。特にバードマンはカット無しで撮影しているようにしか見えない特殊なカメラワーク。予告編じゃ伝わらないけれど、本編を見ると本当にすごい。ここまで斬新なアイデアは他の人じゃなかなか実行できないというか、そもそもやりたがらない気がするし、ああいう特異な魅せ方はイニャリトゥ監督でしか構成できない技術の賜物だと思う。区切られていないのに背景の動きで時間の経過を表現している点も面白いし。

ストーリーについて語り出すと物凄く長くなりそうな程に、1度で把握するには難解さがあるんだけれど、「よくわかんなかったな」で終わらせずに「もう一回見直したい」と何度も観たいと思わせる魅力がある。

 

観ている側に解釈を委ねるタイプの結末、ドラムだけで焦燥感や主人公の思考のめまぐるしさを表す音楽も最高。

 

趣向が全く違うものにはなっているけど、この監督といえばバベルが有名。「21g」「バベル」「アモーレス・ペロス」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督×脚本ギジェルモ・アリアガのタッグ作品は私が今までの人生の中で出会った映画の中で3大傑作であり好きな映画トップ3。多分これから先も不動の映画だと思う。

21gほど心に訴えてくる作品は無いので、バードマンのようなブラックコメディよりもどん底に暗い映画が好きな方には是非観て欲しい(誰に薦めているのかは分からないけど)。

21g(プレビュー) - YouTube

 

ギジェルモ・アリアガの作品についてはもっと熱く語りたい感じだな。

言葉にする事でもないけれど

相手の顔も分からない、見知らぬ人間にプライバシーを侵害されるような事を暴露され続けることってのは、きっと輝かしく思える表の世界ほどそういう危機とは常に隣り合わせなんだろう。そういう社会でこそ、裏ではいかにその人を堕として世間の晒し者にするかを考えるような卑劣な人間がつきまとっているのかもしれない。一度疑われてしまった以上はそれが真実であれ嘘であれ、何を言ったところで疑い続ける人も中にはいる。悲しいけれどそれが現実なんだと思う。

本当のことは誰にもわからない。だけど彼がひどく傷ついたことだけは真実に違いない、何もかも憶測で良し悪しや正解不正解を決めてしまうのはよくないことだけれど、彼がこの先人の目に常に恐怖や不安を感じながら生きていく人生になるように狂わされてしまったのは間違いないんだろう。

世の中は真面目じゃなくてもうまく人生を切り拓いていける人がいれば、真面目に生きてきたのに不幸なほどに報われない人もいる。

命やその一つの命に差はないはずなのに、同じ重さの命でも送る人生の重さは千差万別だ。悲しいけれどそれが現実なんだな。

オレンジデイズをリアルタイムで観ていた自分としては、あのやんちゃでオシャレで、だけどほんとうは真面目で一途な翔平くんを観られなくなってしまうのかなと思うととても悲しいね。そしてあんな大学生活を送るはずが家で毎日1人寂しく過ごしている私の人生も悲しい。私もサークルの男女とかでオレンジノートやりたかったぞ。

 

 

最後に。

ばかもの - YouTube

成宮寛貴出演の作品で一番好きなものといえばこの映画。お気楽な大学生が、年上の女性に恋をして酒と女を覚えて大人の恋愛に飜弄されていくんだけれど、その彼女に見捨てられたことでアルコール浸りな生活を送るようになり、アル中の道に足を踏み入れてしまうという……そんな悲しい話だけど、実は愛に溢れた作品。世間的に評価はすごく低い映画だけど私は主演の成宮くんと内田有紀の演技がすごく好きだ。人を愛することの難しさや切なさや喜びを感じさせてくれるものだと思っているので、過去に辛い精神状態になってアルコール浸りになりかけたことがある人や興味がある人は是非。

いつかお前も俺を食うんだよ

レビューしようと思っても書きたい言葉が見つからない映画がたまにある。それはつまらなかったからというわけではなくて寧ろ物凄く強烈な映画だからという理由なんだけれど、この映画もその一つ。

『鉄男』シリーズなどの塚本晋也監督作!映画『野火』予告編 - YouTube

塚本晋也の作品って前衛的であまり得意じゃないんだけど、この映画は本当に出会って良かった。出来ればもう二度と観たくない、と思う程の作品に出会えて良かったと思える1時間半だった。

多分もっと、心に浮かんでいる何かを書き出したいはずなんだけれど私にはこの映画の感想を綺麗に言語化して並べるまでのセンテンスやボキャブラリーを持ち合わせていない。即座に「どんな映画だった?」と聞かれても絶対に「ヤバかった」とか「怖い、グロかった」とか、そんな貧相な言葉しか思い浮かばないくらい。いくら心の中に鮮烈に残ったとしてその気持ちを気持ちの中だけで大きく膨らませても言語化出来なければそれは感想とは呼べない。だからそういう時はどこかの媒体に書き残すことはやめてしまうんだけれど、鑑賞後に出演していた若手俳優さんのインタビューを読んで「自由に捉えて心に残ったものを何かに書き起こしたり吐き出して欲しい映画」だと言っていたのを見て、この映画は見終わった直後に羅列でも支離滅裂でもいいから記録しておくことに意味があるのかもしれないと思った。無知なりに感じたことを書いておこうと思う。

 

私、実は史実映画が得意じゃない。物凄く。というのも今生きてる現代から遠くかけ離れた時代やそこで生きる人々の姿を見ても感情移入していけないから。どうしても感情移入出来るかどうかで作品の好き嫌いを判断してしまうところがあるので、軍隊ものなんかは小さい頃からなかなか馴染めない。そして何より自分の無知さでは歴史上のことを理解も読解も出来ない事が多い。そういう訳だから戦争映画を含めた史実映画には滅多に触れないのだけれど、「野火」に関しては私が好きな川越スカラ座(明治時代から続く老舗の映画館)があって、そこで長期上演されていて評判が良かったのでずっと気になっていた作品ではあった。

それで昨日やっとレンタルをしてきたので、原作は未読のまま「フィリピン戦下で飢餓状態になった兵士が食糧を求め続けて人肉嗜食に行き着く」という予備知識のあらすじのみ押さえて鑑賞。

入院中にツタヤに通い過ぎて観たい物を見尽くしてしまったからと「ソウ」の全シリーズを無駄に制覇した時、自分は中身の無いサイコスリラーだとかグロテスク映画に対してはなんの恐怖も感じないという事が判明したので凄惨な描写にはそこそこ耐性がある方だと思いこんでいた。だけどこの映画は画面を通して精神的にも肉体的にも衰弱していく兵士たちの極限状態を超えたその先の異常な言動を、まるで目の前で目の当たりにしている気分になってしまって鑑賞しながらだいぶ気が滅入ってしまった。体感型戦争映画のようだった。

 

首を撃たれ叫び声が出ないほど噴き出る血

腐敗していく皮膚に虫が湧き出る身体

死体から飛び出る臓器や脳みそ

えぐるようにそれに喰らいつく人間

生き延びれば生き延びるほど異常さを増していく人間の極限に達した なんの罪もない人間たち

 

1時間半しかない本編を何度か「観るのもうやめようかなぁ」と思ったくらい気力を使った一本だった。大層大げさな表現だなと思われそうだけど、ネットの感想にも同じようなことが沢山書かれているのでそれほど誰が見ても衝撃を受けるものであることは確か。

この事実が過去の日本にあったという現実を今この時代の、残飯が山ほど捨てられていく恵まれた暮らしの中で知ると余計に凄惨に思えてくる。

 

戦争で亡くなった兵士の6割は飢餓による餓死で、当時は食糧不足のあまり兵士たちが友軍を殺し合ってそれを食べることは日常的に行われていてたので敵軍より味方の方が警戒しなくてはならないほどに皆飢えに苦しむ生活を強いられていたらしい。

 

この映画は戦争時代の勇敢な兵士の生き様を美談的に描くものとは全く正反対に、戦争が人を苦しめ互いを殺しあうまでになってしまった悲惨な事実だけをただただ絶望的に映し出したもの。苦しい生活の中でも希望を見出せる作品よりも「いかに人々を絶望へ堕とし入れるものなのか」それだけに焦点を当てた作品こそが「戦争を伝える映画」なのかもしれない。

戦争に希望を見出しちゃいけないと改めて思わされる作品。

取り戻せないものを壊してしまうものでしかない。取り戻せないものを自ら壊しにいかざるを得なくなってしまうものでしかない。

「野火」には誰1人として幸せな人は出てこなかった。

 

 

〜〜

 

 

塚本晋也監督の代表作「鉄男」の良さは全く理解できなかった私だが、メンヘラの教組・Coccoが主演の母親の葛藤を描いたこの作品は物凄く好きなので、ママとの間に悩みを抱えるメンヘラどもは是非観てくれ

映画『KOTOKO』予告編 - YouTube